稲田登戸界隈

川崎市多摩区周辺の記録。

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射光 川崎市多摩区長尾4丁目

長尾4丁目から登戸を目指します。
80年代まではこの一帯は稲田の広がる場所で、正面の二ヶ領を渡った長尾3の崖線下以外は住宅がありませんでした。今は僅かな畑を残し、マンションやアパートが立ち並ぶ宅地となって、ここだけ残った空き地がかつての田園風景を偲ばせるだけです。
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数年前から戸建ての家も建ち始めました。この道は府中街道新道が出来るまでは、明治時代から長尾から登戸まで続く昔からの道です。
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空き地の端から崖下の家々を見ています。戦前はここも田畑でしたが、戦後はこの界隈では一番先に宅地化しているようです。正面にあげ枡という天ぷら屋が見えていますが、長尾寿司、清月(日本蕎麦)、はなぶさ(とんかつ)が消えて、この界隈で唯一残っている感じです。久地駅から向ヶ丘遊園までの旧府中街道沿いは、食事が出来る店が極端に在りません。
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まだ農村を偲ばせる集落は残りますが、
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近年やや開発の兆しが見られます。平屋の貸家が一気に壊され、奇麗なアパートが建てられています。
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府中街道を渡って宿河原3丁目に入ります。
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ここも農村集落の形を残す地域です。
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立派な生垣。
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2年ほど前に出来たドラッグストアーの駐車場、ひっきりなしに車が入ってきます。
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見上げるとああ、向ヶ丘遊園の大階段が見えますね。
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登戸に入ります。
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このような所を抜けて、
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登戸駅前です。
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撮影日 2011年11月20日 23日

テーマ:神奈川県川崎市 - ジャンル:地域情報

  1. 2011/11/26(土) 23:22:57|
  2. 川崎市多摩区長尾
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向ヶ丘遊園前改め「藤子・F・不二雄ミュージアム前」 川崎市多摩区長尾2

9月3日に開館予定のミュージアムですが、ここ半月ほど騒がしい。しきりと内覧会をやっているようで、今日も関係者を集めての内覧会でした。この撮影は午後1時ですが、朝9時にこの前を通った時には既にこのような状態でした。遊園ボウル閉鎖以後、寂しかったこの周辺が急に賑やか。20110828-001.jpg

このようなシャトルバスが登戸から出ているのですが、府中街道を切り通し交差点で右折するのが大変そうでした。しかしバスや徒歩での来場を推奨し、車での来場を断る姿勢には拍手です。まあ、今の子供が遊園駅から喜んで歩くか、非常に疑問ですが。
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建物としては遊園ボウルより大きい。
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関係者やら招待客やらでがったがえす有様。子連れの客よりも、厳しい目つきで会場を仕切るスタッフや背広姿の関係者が目立ち、違和感を感じます。市を上げての事業でだったり大人の付き合いも多そうで、私の好きな向ヶ丘遊園、つまり裏山的自由空間だった長尾の山が突然、堅苦しいオフィシャルな場所にされてしまい戸惑いを覚えました。こんなとこでスーツ着て名刺交換すんじゃねーよってツッコミ入れさせて頂きます。20110828-004.jpg

向ヶ丘遊園 大階段
その手のおっさん達ははしったかこいて「藤子先生のドラえもんは素晴らしい、云々」て語ってしまうのでのでしょうが、もしジャイアンのリサイタルと聞いて地獄絵が頭に浮かばないなら語る資格は無い。
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荒れ放題だった大階段は先週あたりに下の方が塗りかえられました。補修がされそうな予感ですが、
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上の方はボロボロ・・泣くなあ。
藤子作品といえば、私の子供の頃、クラスで人気だったのは「魔太郎が来る」でした。そうA作品ですね。今も人気のドラエモンは私の代ではあまり人気がありませんでした。ドラえもんに夢中になったのは昭和40年代の中以降の生まれで、コロコロを読んでいた世代かもしれません。私は初めて買った漫画が「荒鷲少年隊」だったり、タツノコのシャープな絵が好きだったので、藤子の丸っこいキャラにはあまり馴染めなかったのです。
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遊歩道も何やら工事です。公共事業万歳。
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夜になっても煌々と明かりが。残業おつかれさまです。
さあ、これから子供達に夢を与えてください。旧向ヶ丘遊園の山々もそれなら喜びます。
普段漫画を読む習慣がないくせに、「漫画・アニメでクールJAPAN発信」とか「日本のコンテンツ産業を盛り上げる」とか言ってしまう勘違いでバカなオッサンは来ないでね。
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撮影日 2011年8月28日
  1. 2011/08/31(水) 00:50:35|
  2. 川崎市多摩区長尾
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日本電気 生田研究所 川崎市多摩区東三田2

専修大学生田校舎であるが、以前は日本電気であった。戦時中は住友通信工業に社名が変わっている。よって当時の呼称は「住友通信工業株式会社 研究所 皇国第四五八二工場」である。登戸の昔を知る人が「登戸に日本電気があって・・」というのはこの研究所と研究所付属の日本電気稲田工場の事を言っているのだろう。20110313-00.jpg

昭和15年、日本電気の玉川工場内の研究所が生田の山に移転し、研究所として設立される。研究目的は真空管やテレビジョン、レーダー等の高周波の研究である。当時の最先端の研究といえよう。
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ここから僅かな距離に陸軍登戸研究所があったことを考えると、なんらかの近似性を感じる。どちらも陸軍の指導で出来た施設なのだ。
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戦後の昭和24年に労働争議を原因として研究所は閉鎖され、しばらくして専修大学が土地を買い取り、生田校舎となる。大学は開校にあたって敷地をそのまま使っているようで、大学の外周の道路や地形は研究所当時と現在ではほとんど変わっていないことが、1947年当時の航空写真でよく分かる。大学校門は研究所時代の門と同じ位置だ。
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生田緑地の太郎美術館を眼下に大学の裏へ向かう。研究所時代の枡形山城址は今のように整備されたものでなく、ただの原野の中にぽつんとピークがあっただけのようだ。
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冬の日差しにメタセコイアが美しい。
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今はゴルフ場になって入れないが、研究所からひょうたん池まではたのしいハイキング道だったそうだ。あのゴルフ場は潰して、市民に開放してくれないかな。
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生田緑地の駐車場。当時この近辺に楓館、松館という西洋館が2棟あったという。戦前は海外協会の帰国子女の寄宿舎だそうで、研究所が出来てからは研究所の一部として使用、戦後は研究所員の社宅として使われていたが、研究所の閉鎖からまもなくして閉鎖された。現在付近を当時の痕跡を探してみたが、全く分からない。
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戦争末期はB29の編隊がこの丘を越えて行った。多摩丘陵に展開した高射砲陣が猛烈な対空射撃をしたという。研究所からは東京が火の海になるのがよく見えたそうだ。
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大学校舎に11日の震災の影響が出ていた。
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研究所OBの方々が出版された日本電気「生田研究所回顧録」を参考、引用させて頂きました。
戦前から戦後の僅かな期間だけ存在した幻の研究所を知る貴重な資料で、出版された方々に感謝しています。

撮影日 2011年3月13日



  1. 2011/03/25(金) 00:09:51|
  2. 川崎市多摩区東三田
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丸山教 川崎市多摩区登戸1274

前の記事で丸山幼稚園の卒園生の方からコメントを頂き、一度は撮ろうと思って丸山教へやって来ました。
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「教務本庁」が格式高い。
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登戸宿河原は古い町(村)なので、神社仏閣が多い土地です。農家の家々と社寺を中心とした街の雰囲気は、やはり独特の雰囲気があります。先日、所用で横浜のある新しい街へ行きましたが、果てしなく続く、山を崩して造った新しい街の味気なさはにはうんざりしました。長尾や生田も山を切り開いた街で既に40年以上を経過しましたが、未だに薄っぺらい感じは否めません20101113003.jpg

開放的な幼稚園。元気なガキ二人・・
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でも後ろにデカイのが建つ・・か。
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登戸交差点。一見広く見えますが、此処から逆方面は急に道が狭くなるのは、未だ変わらず。もうずっと昔から。
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米穀、和洋酒・・この界隈はひっそりとした感じです。
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撮影日 2010年11月13日
  1. 2010/11/17(水) 12:14:23|
  2. 川崎市多摩区登戸
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陸軍登戸研究所 川崎市多摩区東三田1

浄水場通りをえっちらこっちら上がってきてしまいましたが、上って降りる結果になり大汗をかいてしまいました。でも登戸市街から新宿まで実に眺めが良いところです。
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明治大学の陸軍登戸研究所資料館で今日から写真展が始る事を新聞で知り、明大生田キャンパスへやって来ました。因みに右手の崖下に明大射撃部の射場があります。昔はその前を通る度にジャッ、バ~シャッとエアライフルの音が聞こえていましたが、今はどうなのかな。アンシュッツやファインベルクバウ、兵林館と様々に思い出します。懐かしいなあ。
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守衛室でパンフレットをもらって入校です。そこで出会った遊園からの直通バス・・・これに乗れば楽だったなあと思いますが、散歩がてらなら生田緑地を抜けて専大から降りてくるルートが楽しめるでしょう、帰りはバスで。現在は廃刊になっているようですが、新田昭二著「秘話 陸軍登戸研究所の青春」 (講談社文庫)では、戦中の稲田登戸駅(向ヶ丘遊園駅)から登戸研究所までに辿りつくまで一苦労の記述があります。どの道を通ったのか、当時の風景を想像しながら歩いてみるのも楽しいものです。
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立派な校舎。ノボリターや生田原人は夕日が沈む時は何時もこの校舎を毎日見ていますね。

登戸研究所の事はあれほど反戦を叩き込まれたにも関わらず、「地元」の小中学校では全く教わりませんでした。中野学校や旧軍関係の本には1行から2行程度ですが登戸研究所が登場することもあり、高校生の頃には断片的な知識の蓄積は有りました。印象深いものはWWⅡでドイツが行った通貨謀略の偽札造りの苦労話で、同じ事は日本でもやっていたとして登戸研究所が紹介されていましたが、それが何の本だったのか覚えていません。
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近代的な校舎の中から突然現れます。陸軍登戸研究所の一部です。
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スズメバチが巣を作ってしまい危険だそうです。20101103006.jpg

やがて此処も崩壊してしまうのでしょうか。
若い人には木造建築が古さ、加えて軍事関係の秘密機関だったことからやたら不気味さをを感じさせることも有るかもしれませんが、こういった平屋で羽目板の建物は昭和40年代迄の生まれの人なら、結構見ているでしょう。小学校の校舎、役所や農協の旧舎などは皆こういった感じの建て方でした。宿河原の日本板硝子などは、立派な木造の事務棟が踏切の前に70年代中頃まであったと思います。
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弾薬庫も有りでちょっと興奮しています、軍の施設でしたから当然なのですが・・その後ろにマンションが平然と建っているのが面白くて。新百合ヶ丘と鶴川の間に高射砲陣地の碑が戦後に建てられており、多摩丘陵に防空部隊が展開していた事を数年前に知ったのですが、この研究所を守る為に宮前区側に防空公園が設置されていたことは今日始めて知りました。ちょうど緑ヶ丘霊園の噴水あたりから丘陵に沿って潮見台までが指定されています。
考えてみれば、今は幹線道路の尻手黒川線も当初は陸軍の演習地として接収され、現在は米軍多摩サービスとなっている多摩弾薬庫からの輸送道路として開通したものですから、多摩丘陵の一角に軍事研究所を設けたのも別に不思議なことではないのかもしれません。規模としては比べ物になりませんが、軍都として開発された相模原市に通じるものがあります。
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明治大学の登戸研究所資料館です。この建物自体も登戸研究所の鉄筋建物を改修して使っているそうです。中は撮影禁止なのと、WEB上で膨大に紹介されていますので、私のブログでは割愛します。伴繁雄氏の「陸軍登戸研究所の真実」新丁版が3月から出ていますので、一読をお奨め致します。
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時間を忘れて見入ってしまい、閉館まで居てしまいました。展示内容は大学だけあってさすが、というか一級品ばかりです。よく地方にある土産物屋と併設された「平和祈念館」の、脱力感を覚えるような展示物はありません。右にも左にも寄らず、あくまでも「史実として有ったもの」を淡々と伝えようとする姿勢には好感が持てました。
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近代的な施設でネットを見る見る学生さんたち、今見てきたものと余りに対照的です。
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もう一度、建物を見つめて帰りました。
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撮影日 2010年11月3日







  1. 2010/11/10(水) 23:35:49|
  2. 川崎市多摩区東三田
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作者の件

府中県道

Author:府中県道
男性・会社員・中年
好物・とろろそば
作者の地元の神奈川県川崎市、向ヶ丘遊園から半径2キロ程度の非常に狭い範囲を記録しています。週一回は撮ろうとしていますが、最近は月2回が精一杯です。食には疎いのでグルメガイドにはなりえませんので御了承ください。

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ペンキ塗ってくれよ!柱が叫ぶ、思う!!追憶の遊園モノレールの本
ののぱりこ(著) 
「向ヶ丘遊園モノレール はしらのはなし」
文教堂 向ヶ丘駅前店で買えました。(2008/2/23現在、 レジ横に積んでありました。かわいいPOPが立ってました。)2010年現在は、多摩図書館はじめ川崎市立図書館にて読めますよ。

ののぱりこさん


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