川崎市の保育園や小学校の子供は、遠足や社会科見学で一回は此処に来ているでしょう。

だが此処は地元のガキにとっては、2B弾を投げ合った戦場だったり、

公園の敷地全部をつかった「どろけい」の捜査現場でした。(広すぎてゲームが成立しませんでしたが)

昨日さんざん遊んだ場所に先生に引率され、かしこまって地層がどうのこうの、化石発見とかお勉強しても、面白くも何ともありません。しかも春の遠足は毎年ここですから、もう飽きちゃって・・。飯室山頂上にて。

飯室山から稲田登戸病院へ降りる尾根道はここで閉鎖、更にこの先で金網によって強固にバリケードされている。

行先表示板には、まだ堂々と「稲田登戸病院」と。でも良い字体ですね。

飯室山から枡形山へ冬の木漏れ日を抜けてゆく。

枡形山頂上。

展望台からはいきなりアトラスタワーと対面する。ほぼ同じ高さに萎える。

稲田登戸病院の跡地は今はこんな状態。ここに高いマンションが建つと、登戸市街の眺望は全滅。今が最後かもしれない。

病院付属施設跡には白いテントが建って、中でなにか作業しているようです。

新宿と間違えそうな、武蔵小杉の高層建築群。

こっちは本物の新宿。

山を降りて、古い友達のデゴイチに会う。奥に見える噴水は、友人のA君の渾身作「イ号潜水艦」の記念すべき進水式を執り行った「太平洋」です。さすが潜水艦だけあって、2度と浮き上がってきませんでしたが。

呆然とするA君、大笑いする僕ら。挙句のはてに「爆雷」と称して石を投げ込み始めます。「止めろー」とA君の絶叫が生田の山に木魂しました。しかしこのような軍事がかった話題や遊びは、革新系の川崎市の学校では怒られました。酷いときはビンタも数発喰らいます。まあ先生が戦中派且つバリバリの共産党員だった場合限定ですが。時代ですね、今じゃ考えられません。

川崎ローム斜面崩壊実験事故慰霊碑。岡本太郎美術館へ歩いて行く途中、かなりの人から「え、何があったの?」と話す声が聞こえました。若い子連れ世代や、新しい住民の方々はもう知らないようです。

1971年、見ていたNHKニュースにその映像が飛び込んできました。丘の上からジャージャーと流される水。突然押し寄せる黒い影・・ガーババッと不気味な音と共に反転し消える映像。15人が亡くなった悲惨な事故は、この美しい公園で起きました。この3年後の狛江大水害と共に非常に記憶に残る事件です。

当時のん気に遊ぶ僕らにとって、此処だけいちょっと重い場所でした。なので能天気なタロー像がちょっとチグハグに感じます。

撮影日 2008年12月23日
テーマ:神奈川県川崎市 - ジャンル:地域情報
- 2008/12/28(日) 11:02:49|
- 川崎市多摩区枡形
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府中さんこんにちは!
生田緑地…私も路無き路を登り、よくBB弾を拾いに入りました。ヘンな場所から山頂まで登ったり…プラネタリウムや資料館、奥の方にすごい崖があって段ボールで滑ったり…
毎年マンションのみんなでお花見に行っていたやっぱり思い出深い場所ですね。たしかに登戸病院方面へ降りられましたよね。あちらは一度くらいしか行ったことなかったかな。私の出生地です。
以前のブログも拝見してたらすごく私とリンクするものがあったのであつかましくも同世代かなと想像していたのですが関東ローム層の話を聞いて少し先輩の方なんですね(・∀・)ノ
今年はとっても楽しませていただきました、ありがとうございます☆どうかよいお年を……
- 2008/12/30(火) 14:49:21 |
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- ゆ☆ま #-
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ゆ☆まさん、毎回コメントありがとうございます。
生田緑地はあまりに多くのサイトで紹介されている事と、公園なのでそれほど消滅する景色も無さそうだということで取上げない方針でしたが、病院跡地の尾根について書きたくなり、写真を撮ってきたものです。
ゆ☆まさんが私を同年代と思ったのは、私の見た1970年代の景色が1990年代まで、それほど変わっていないからだと思いますね。遊園・登戸周辺が大きく変わったのは1950〜1960年代と、2000年以降の再開発地域のようです。来年はその辺を掘り下げていこうかな、と思ったりしています。また来年も宜しくお願いします。
- 2008/12/30(火) 22:57:13 |
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- 府中県道 #mQop/nM.
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こんばんわ。よろしくお願いします。
枡形山から登戸病院の方に下りる道がもうないのですね。ショックです。せめて一回でも通っておきたかったです。もしかしたら、生田緑地が出来る前はこちらが正式な登り道だったのではないでしょうか。
昔、昆虫採集セットの注射器が粗末なもの(もともと玩具ですが)なので登戸病院に行って裏のゴミ捨て場から本物を拾って使ってました。地元の子供の常識ではなかったでしょうか。そういうことに昔はいい加減だったのですね。子供にとって病院というのは登戸病院のことで重病患者が行くところと考えていた。それでお世話になったことはありませんでした。
でも遠くから見えておりましたのなんかで安心感を
感じることが出来ていたように思えます。
- 2008/12/31(水) 00:59:23 |
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- 元登戸住民 #-
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元登戸住民さん、こんにちわ。
毎回新たな疑問発見で、困ってしまいますよ(笑)
確かに、1960年代の航空写真には稲田登戸病院から枡形山への道が異常にくっきり写っていて、随分交通があったような感じが。よく考えれば、向ヶ丘遊園駅から枡形山に登るには、こっちの方が近いし、民家園の開業(昭和42年)前には、わざわざ市道を歩いて枡形山に行く人は少なかったのかもしれませんね。因みに尾根道は、病院跡地工事の後は、再開するようです。
病院の注射器の話、グワーと叫んでしまいそう。一歩間違えれば・・。でも今何ともないから話せる話って多いですね。私が子供の頃は、街の医院で看護婦さんが鍋みたいなもので、ガラス注射器、針をグツグツ煮沸消毒してましたね。んでそれをまた使うと。今じゃ全部ディスポで、そんな風景も無くなりました。
- 2008/12/31(水) 12:29:08 |
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- 府中県道 #mQop/nM.
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管理人さん、
あけましておめでとうございます。
いつもコメントもせずに眺めているだけで申し訳ありません。
以前も書いたかも知れませんが、緑地が気に入ってこの土地に居を構えました(緑地から100メートルも離れていないと思います)。それだけに緑地にはよく散歩に行くのですが、あの慰霊碑にはそういう悲しい事故があったのですね。驚きました。ちょうど、私の生まれた年です。休日ともあれば家族連れが楽しそうに行き来するあの場所でそういう事故があったとは。いつも何となくあそこを通る時は、帽子を外して手を合わせていましたが、被害にあわれた方々のご冥福を心からお祈りしたいです。
朝刊に入っていた『稲田登戸ニュース』も本日の号から枡形山の歴史について連載が始まりました。
たとえ、生まれと育ちは違っても、今、自分が住んでいる場所の歴史を紐解くと不思議な世界が見えてくるような気がします。
これからも単なる地元紹介という枠を超えたブログで新住人にも新しい世界を開いてください。
めったに書けないので、書きすぎましたが、今年もよろしくお願いいたします。
- 2009/01/01(木) 22:29:00 |
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- ak #-
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akさん、明けましておめでとうございます。
長文結構、コメント欄はきっと地元民しか見てないです。
いまだ「登戸病院 心霊」が検索キーワードトップ、それでカウンター回ってますから〜(泣)。
お子様のご様子如何でしょうか。そのうち幼稚園位の年になると生田緑地周辺で遊ぶ毎日ですね。山も僕らのころよりは、ずっと安全になっているはず・・、んー、ちとまだ怖いところもありますね。
さーて今年も明けて、2日。今日は所用で新百合ヶ丘に行ってきました。ついでに古沢地区を歩いてきました。すばらしい竹林とのどかな里山風景でしたが、残念ながら新病院の建設予定地になっており、また一つ緑地が消えることを残念に思いました。そのようなわけで、今年も多摩区の小さな風景を、こまめに記録していこうと思いました。では!
- 2009/01/02(金) 21:21:03 |
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- 府中県道 #mQop/nM.
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