稲田登戸界隈

川崎市多摩区周辺の記録。

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陸軍登戸研究所 川崎市多摩区東三田1

浄水場通りをえっちらこっちら上がってきてしまいましたが、上って降りる結果になり大汗をかいてしまいました。でも登戸市街から新宿まで実に眺めが良いところです。
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明治大学の陸軍登戸研究所資料館で今日から写真展が始る事を新聞で知り、明大生田キャンパスへやって来ました。因みに右手の崖下に明大射撃部の射場があります。昔はその前を通る度にジャッ、バ~シャッとエアライフルの音が聞こえていましたが、今はどうなのかな。アンシュッツやファインベルクバウ、兵林館と様々に思い出します。懐かしいなあ。
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守衛室でパンフレットをもらって入校です。そこで出会った遊園からの直通バス・・・これに乗れば楽だったなあと思いますが、散歩がてらなら生田緑地を抜けて専大から降りてくるルートが楽しめるでしょう、帰りはバスで。現在は廃刊になっているようですが、新田昭二著「秘話 陸軍登戸研究所の青春」 (講談社文庫)では、戦中の稲田登戸駅(向ヶ丘遊園駅)から登戸研究所までに辿りつくまで一苦労の記述があります。どの道を通ったのか、当時の風景を想像しながら歩いてみるのも楽しいものです。
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立派な校舎。ノボリターや生田原人は夕日が沈む時は何時もこの校舎を毎日見ていますね。

登戸研究所の事はあれほど反戦を叩き込まれたにも関わらず、「地元」の小中学校では全く教わりませんでした。中野学校や旧軍関係の本には1行から2行程度ですが登戸研究所が登場することもあり、高校生の頃には断片的な知識の蓄積は有りました。印象深いものはWWⅡでドイツが行った通貨謀略の偽札造りの苦労話で、同じ事は日本でもやっていたとして登戸研究所が紹介されていましたが、それが何の本だったのか覚えていません。
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近代的な校舎の中から突然現れます。陸軍登戸研究所の一部です。
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スズメバチが巣を作ってしまい危険だそうです。20101103006.jpg

やがて此処も崩壊してしまうのでしょうか。
若い人には木造建築が古さ、加えて軍事関係の秘密機関だったことからやたら不気味さをを感じさせることも有るかもしれませんが、こういった平屋で羽目板の建物は昭和40年代迄の生まれの人なら、結構見ているでしょう。小学校の校舎、役所や農協の旧舎などは皆こういった感じの建て方でした。宿河原の日本板硝子などは、立派な木造の事務棟が踏切の前に70年代中頃まであったと思います。
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弾薬庫も有りでちょっと興奮しています、軍の施設でしたから当然なのですが・・その後ろにマンションが平然と建っているのが面白くて。新百合ヶ丘と鶴川の間に高射砲陣地の碑が戦後に建てられており、多摩丘陵に防空部隊が展開していた事を数年前に知ったのですが、この研究所を守る為に宮前区側に防空公園が設置されていたことは今日始めて知りました。ちょうど緑ヶ丘霊園の噴水あたりから丘陵に沿って潮見台までが指定されています。
考えてみれば、今は幹線道路の尻手黒川線も当初は陸軍の演習地として接収され、現在は米軍多摩サービスとなっている多摩弾薬庫からの輸送道路として開通したものですから、多摩丘陵の一角に軍事研究所を設けたのも別に不思議なことではないのかもしれません。規模としては比べ物になりませんが、軍都として開発された相模原市に通じるものがあります。
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明治大学の登戸研究所資料館です。この建物自体も登戸研究所の鉄筋建物を改修して使っているそうです。中は撮影禁止なのと、WEB上で膨大に紹介されていますので、私のブログでは割愛します。伴繁雄氏の「陸軍登戸研究所の真実」新丁版が3月から出ていますので、一読をお奨め致します。
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時間を忘れて見入ってしまい、閉館まで居てしまいました。展示内容は大学だけあってさすが、というか一級品ばかりです。よく地方にある土産物屋と併設された「平和祈念館」の、脱力感を覚えるような展示物はありません。右にも左にも寄らず、あくまでも「史実として有ったもの」を淡々と伝えようとする姿勢には好感が持てました。
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近代的な施設でネットを見る見る学生さんたち、今見てきたものと余りに対照的です。
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もう一度、建物を見つめて帰りました。
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撮影日 2010年11月3日







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  1. 2010/11/10(水) 23:35:49|
  2. 川崎市多摩区東三田
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8
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コメント

散歩に良い季節になりました

おひさしぶりです。
サヨク活動華やかなりし頃の稲小~稲中でも、たぶん、登戸研究所の事は教わりませんでしたね。
ん~・・・多摩高の社会系には、かなり偏った先生も居ましたが、いや、高校生もかなり偏っていたように思いますが、やはり話題にはしていませんでした。川崎市の日教組では、秘密事項だったのでしょうかね(笑)

木造二階建ての事務所は普通ですよ(笑)
自分の仕事場、駅を降りて踏切を渡ると、まず小さなお稲荷さんがあって、その横に守衛所と薄クリーム色の木造がデンと構えた光景が10年前まであり、その二階の食堂も使っていました(笑)
確かに事務棟で、真っ暗な通路の壁は微妙に傾き、床は波打って、そこで仕事していた人にとっては、さぞかし使いにくかったでしょう。。。

学生の時、小金井の学芸大学に遊びに行ったら、部室棟が将に写真のような木造平屋の「元兵舎」でした。横浜線(R16)沿い、多摩丘陵、中央線と、今も残る軍事施設が多いですね。旧軍の研究部門は、小金井・小平に沢山あったようで、この夏はその跡地の一つに1ヶ月通いました。これだけ軍事施設があっても、あまり空襲被害がひどく無かったのは、防衛線があったからでしょうか。それとも、田舎だったからか(笑)

先日お亡くなりになった宿河原の風呂屋のおバアちゃんから、「登戸にも工場があったから1回バクダンが落ちたんだよ」と聞いた覚えがあります。コドモ園児が聞いた記憶なので曖昧です。多摩川沿いの工場が目標のように聞きましたが、占領軍の航空写真にはそんなに大規模な工場も無く、たぶん、登戸研究所が目標だったのかも知れません。
# このバアちゃん、コドモ自分が初めて見た時から
# "番台のお婆ちゃん"だったので、
# 吉田戦車の描く「お年寄りは生まれた時から
# お年寄り」というネタが妙が納得できました。
  1. 2010/11/13(土) 12:03:08 |
  2. URL |
  3. sei5 #-
  4. [ 編集]

Re: 散歩に良い季節になりました

随分と御無沙汰しております。

やはりsei5も教わってないですか。何ででしょうね、これほどの資料を。
当時は今ほど研究が進んでいなかった為かわかりませんが、残念なことを。
森村誠一の悪魔の飽食とか一時ブームだったから、それ以後、一気にこの手のものが
クローズアップされたような気もします。

一般企業で木造建物を使っているところもあるのですね。びっくりです。
仰るとおり、中央沿線や横浜線など戦前からある鉄道の近くの企業は、
旧軍の用地を払い受けた所も多そうで、今もひっそりと建っているのでしょうね。
そんなもんに興味を持つのは私とsei5さんくらいか(笑)


  1. 2010/11/15(月) 23:05:39 |
  2. URL |
  3. 府中県道 #mQop/nM.
  4. [ 編集]

登戸研究所

登戸研究所の事は、1980年頃から明らかになってきたようですね。どうりで、知らないはずです。

そろそろ木造二階建ての事務所は無くなってきているので、目を付けているマニアな人も居るでしょう。
永井荷風のように、消え行く物を愛する心は、誰でもありますから(笑)
  1. 2010/11/20(土) 15:07:50 |
  2. URL |
  3. sei5 #-
  4. [ 編集]

木造

>そんなもんに興味を持つのは私とsei5さんくらいか

そんな事はありません(笑)
たとえば、「東京あるけあるけ」 
検索してみてください。
  1. 2010/11/21(日) 12:48:21 |
  2. URL |
  3. sei5 #-
  4. [ 編集]

Re: 木造

なるほど、登戸研究所ってのは最近発掘された状態なのですね。って書く前に調べろってことですか、反省。

>「東京あるけあるけ」

すごい所に出入りされてますますね(笑)
うなされそうな程の廃っぷり。やはり墨田、台東、足立といった旧江戸の濃度が高いようですが、我々にとっての近所の三茶もなかなかのものであります。今度行ってみようかなな。
そういえば、勝手にリンクさせて頂いている「Looking for locations」で紹介されていた町田市鶴川団地のセントラル商店街に行って来まして、その昭和っぷりにえらい感動しましたです。お近く寄られたら是非どうぞ!



  1. 2010/11/21(日) 22:23:20 |
  2. URL |
  3. 府中県道 #mQop/nM.
  4. [ 編集]

Re: 木造

「東京あるけあるけ」の深さにはいつ見ても感服します。。。 まぁ、自分はベクトルの"ブレ幅"が大きいので、とうてい足下にも及びません(笑)

確実に消えていますが、三茶は、昭和なアーケードや映画館や飲み屋街が残っていたので、良い町でした。 残念ながら、釣り堀屋 がなくなってしまったとか(news source忘れました)
MZ-80Cの看板は10年くらい前に無くなってしまいましたが、246の周辺に残る旧大山街道沿いの商店街にも、昭和が残っていませんかね?
# 三茶撮影会やりますか?

地方に行けば、古い町並みは沢山残っていますが、全部古いのと、忘れられたように古いのは、意味が違いますからね(笑)

鶴川団地は、飲み友達が子供の時に住んで居たので、いずれ昭和探訪ツアー企画してみます(笑)
  1. 2010/11/23(火) 13:33:13 |
  2. URL |
  3. sei5 #-
  4. [ 編集]

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このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2010/11/23(火) 13:40:52 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集]

戦前写真

既にご存じだったでしょうか? 自分は気付くのが遅れましたが、国土地理院の国土変遷アーカイブ航空写真で、戦前戦中に陸軍が撮った航空写真が閲覧できるようになっていました。
# 登戸研究所も鮮明に載っています。
それよりも、1938~41 と、終戦前の44頃でも、既に大きな変化が随所に見られます(宿河原はあまり変わっていませんが:笑)。 戦時中は、異常な経済状態だったにせよ、ある意味、活発な時代だった事が分かります。
  1. 2010/12/14(火) 01:09:57 |
  2. URL |
  3. sei5 #-
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府中県道

Author:府中県道
男性・会社員・中年
好物・とろろそば
作者の地元の神奈川県川崎市、向ヶ丘遊園から半径2キロ程度の非常に狭い範囲を記録しています。週一回は撮ろうとしていますが、最近は月2回が精一杯です。食には疎いのでグルメガイドにはなりえませんので御了承ください。

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文教堂 向ヶ丘駅前店で買えました。(2008/2/23現在、 レジ横に積んでありました。かわいいPOPが立ってました。)2010年現在は、多摩図書館はじめ川崎市立図書館にて読めますよ。

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