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稲田登戸界隈

川崎市多摩区周辺の記録。

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道ができてきた、登戸 2016年12月
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  1. 2037/01/01(木) 12:00:00|
  2. なし
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中和ビルとナショナルラジオ 川崎市多摩区登戸2735

ダイエー向ヶ丘店の閉店後の10月3日、中和ビルにやってきた。
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ダイエー向ヶ丘店の看板が白く塗られてしまった。
喫茶シャノアールは長く続いていますね。
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年季の入ったエレベーター。2階までしか行かない。3階から上は閉鎖している。
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一階エントラント。昔は華やかだった。ここからボウリングに行く人、買い物の人でごった返していた。
正面右側は昔は第一家庭電器で、1973年頃、入口近くにナショナルのトランジスタラジオR70とR72がとても奇麗に展示されていた。
当時の価格は3,900円。今の価格だと8,000円くらいでしょうか、小さなラジオも高かったですね。
小学生にはとても買えないから、はあってため息で、ショウウィンドウを見つめていた。
当時はラジオを聞く習慣はなかったけど、ラジオのメカメカしさにやられてしまった。
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ところが翌年、ラジオ局に努める叔父から、ノベルティとして作られたR72をもらった。
通称「ナショナルクルン」、赤くて美しいラジオだった。006Pの電池で野太い音をだした。
子供なのに「小沢昭一の小沢昭一的こころ」とか聞いて、大人の世界をのぞき込んでいました。
撮影日 2020年10月3日
  1. 2020/10/27(火) 00:09:31|
  2. 川崎市多摩区登戸
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向ヶ丘ショッパーズプラザからダイエー向ヶ丘店 川崎市多摩区登戸2789

明日9月30日でダイエー向ヶ丘店は閉店です。
子供の頃は向ヶ丘ショッパーズプラザと呼んでいました。一階の食品売り場と地下以外は、専門店ばかりで、
ダイエーというより今のショッピングモールでした。この食料品売り場で食材を買って、母が引くショッピングカートがゴロゴロ
音を立てるなか、モノレールの下を家路につく日々でした。
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子供ながらも、専門店街なんでショッパーズプラザなんだな、と思っていました。
何時からダイエー向ヶ丘店と呼んだかは、覚えがありません。
小学3年のクラスで、ダイエーでの集団万引き事件が発生、数人が地下で文具を盗ったものでした。
クラス会を開いて犯人の特定w、反省会を経て担任がダイエー店長に謝りににいきました。
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ずいぶんと看板も汚れたけど、自分と同じく年を重ねたので旧友です。
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屋上から府中街道、歩道橋も無くなりの交差点も変わりました。
交差点にあった長谷川材木店は移転したようです。当時は道路からよく見えたので、毎年、春の遠足で生田緑地に行く
我々には超有名な変な材木店でした。
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撮影日2020年7月25日
  1. 2020/09/29(火) 11:51:27|
  2. 川崎市多摩区登戸
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ダイエー向ヶ丘店 川崎市多摩区登戸2789

ダイエー向ヶ丘店 地下一階
1972年 私達兄弟はこのフロアでミラーマンの首が蓋になっているシャンプーを発見、子供向けのデフォルメも少なく形がリアル、こんなシャンプーがあるなんて、と驚愕した。買ってもらえたのがとてもうれしくてその晩、風呂で大いに楽しんだ。
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48年も前のこんなくだらない事を、普通の人は覚えているのだろうか。
いつも圧倒的品揃えで、商品はキラキラ輝き新しい発見がいつもあった、それが私のダイエー向ヶ丘店。

テーマ:神奈川県川崎市 - ジャンル:地域情報

  1. 2020/07/24(金) 11:15:23|
  2. 川崎市多摩区登戸
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遊園から下北へ 東京都世田谷区北沢二丁目

下北沢駅が3月に地下化されますので、遊園から遠征して写真を撮ってきました。
小田急の主な駅はここ10年ほどでほとんど作り変えられ、昔ながらの駅の姿を留めるのは
下北沢と向ヶ丘遊園ぐらいでしょうか、遊園駅も旧友が消えてしまい寂しいでしょう。
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少年の頃、遊園から下北沢を晴れの日も、雨の日も、風の日も往復する日々でした。
薄暗く穴蔵のようなこの駅舎が消えてしまうのは、寂しさがあります。
低い位置で交差する井の頭線を支えるこのコンクリの橋脚の圧迫感も、懐かしい。
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古臭いタイル貼りです。駅舎もそのうち壊してしまう為か、補修は最小限なのかもしれませんが、荒れるにまかせた感じでちょっと気の毒な状態。

小学生の頃から渋谷へ行くには小杉から東横線で行くと思い込んでいたので、下北沢は遊園からすぐに着いて、渋谷も吉祥寺にもサッと行けてしまうスゴイ駅だと知った時は驚きでした。
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当時も思ってましたが、狭いですね。井の頭線への連絡通路。

渋谷の宮益坂を駆け上ると現れる青山の風景は、多摩丘陵の山から来た自分には別世界でした。
駆け上がるのと書いたのは、本当に小走りに近いほど早く歩いていたのです。青山を歩いている人達があまりにかっこよかった。それに引き換えダイエー向ヶ丘店で買ったリバティーベル「もどき」の白ジャケットの自分がなんとも恥ずかしく、惨めでね、ゆっくり歩けなかったんです。
あの頃、ちょっと流行っていたんですね、リバティーベルという衿が青と赤のジャージで、ツルツルした白いダウンジャケットが。本物を着ている人が青山、渋谷だと沢山いました。
本物はダウンでパンパンと張りがあるのですが、ダイエーのは化繊の綿でへナヘナ~っと薄い訳です。
70年代は今と比べて衣料品が非常に高い時代で、ダウンジャケットは3万、4万するのがあたり前で、本物はとても買えませんでした。ダイエーのリバティーベル「もどき」でも5,900円ほどしたと思います。ダイエー2階で、うんうん悩みながら、乏しい小遣いから清水の舞台から飛び降りる覚悟で買ったジャケットです。
ああ,今思い出しても恥ずかしいや。でも当時の自分が可哀想だねえ。
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小田急工事風景。

下北沢と登戸の共通点は、再開発が遅れたことです。下北沢の街については
多くの方々が書いていますからここでは省きますが、小田急と地元の街の関係は複雑です。
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下北沢下りホームから。

下北沢から遊園に帰るときは、いつも駅に面したビリヤード場の前で電車を待っていました。今もビリヤード場はあるようで、その写真が撮りたかったのですが、もう工事用の鉄骨に隠されて撮れませんでした。
ビリヤード場の建物も建替わっているようです。当時はビリヤード場の木枠の窓から、ガラーンとした薄暗い室内がよく見えたのですけど。
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さようなら、下北沢。
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登戸へ帰ってきました。
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下北沢の喧騒と比べると
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やはり静か、というか田舎ですねえ。
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撮影日 2013年2月24日
  1. 2013/02/27(水) 01:51:55|
  2. 東京都世田谷区
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府中県道

Author:府中県道
男性・会社員
好物・天ざる
作者の地元の神奈川県川崎市、向ヶ丘遊園から半径2キロ程度の非常に狭い範囲を記録したものです。不動産業を営んでいるとか、郷土史家ではありませんので、地元に特別詳しいわけではなく、個人的な記憶のみです。

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ペンキ塗ってくれよ!柱が叫ぶ、思う!!追憶の遊園モノレールの本
ののぱりこ(著) 
「向ヶ丘遊園モノレール はしらのはなし」
文教堂 向ヶ丘駅前店で買えました。(2008/2/23現在、 レジ横に積んでありました。かわいいPOPが立ってました。)2010年現在は、多摩図書館はじめ川崎市立図書館にて読めますよ。

ののぱりこさん