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下北沢駅が3月に地下化されますので、遊園から遠征して写真を撮ってきました。
小田急の主な駅はここ10年ほどでほとんど作り変えられ、昔ながらの駅の姿を留めるのは
下北沢と向ヶ丘遊園ぐらいでしょうか、遊園駅も旧友が消えてしまい寂しいでしょう。

少年の頃、遊園から下北沢を晴れの日も、雨の日も、風の日も往復する日々でした。
薄暗く穴蔵のようなこの駅舎が消えてしまうのは、寂しさがあります。
低い位置で交差する井の頭線を支えるこのコンクリの橋脚の圧迫感も、懐かしい。

古臭いタイル貼りです。駅舎もそのうち壊してしまう為か、補修は最小限なのかもしれませんが、荒れるにまかせた感じでちょっと気の毒な状態。
小学生の頃から渋谷へ行くには小杉から東横線で行くと思い込んでいたので、下北沢は遊園からすぐに着いて、渋谷も吉祥寺にもサッと行けてしまうスゴイ駅だと知った時は驚きでした。

当時も思ってましたが、狭いですね。井の頭線への連絡通路。
渋谷の宮益坂を駆け上ると現れる青山の風景は、多摩丘陵の山から来た自分には別世界でした。
駆け上がるのと書いたのは、本当に小走りに近いほど早く歩いていたのです。青山を歩いている人達があまりにかっこよかった。それに引き換えダイエー向ヶ丘店で買ったリバティーベル「もどき」の白ジャケットの自分がなんとも恥ずかしく、惨めでね、ゆっくり歩けなかったんです。
あの頃、ちょっと流行っていたんですね、リバティーベルという衿が青と赤のジャージで、ツルツルした白いダウンジャケットが。本物を着ている人が青山、渋谷だと沢山いました。
本物はダウンでパンパンと張りがあるのですが、ダイエーのは化繊の綿でへナヘナ~っと薄い訳です。
70年代は今と比べて衣料品が非常に高い時代で、ダウンジャケットは3万、4万するのがあたり前で、本物はとても買えませんでした。ダイエーのリバティーベル「もどき」でも5,900円ほどしたと思います。ダイエー2階で、うんうん悩みながら、乏しい小遣いから清水の舞台から飛び降りる覚悟で買ったジャケットです。
ああ,今思い出しても恥ずかしいや。でも当時の自分が可哀想だねえ。

小田急工事風景。
下北沢と登戸の共通点は、再開発が遅れたことです。下北沢の街については
多くの方々が書いていますからここでは省きますが、小田急と地元の街の関係は複雑です。

下北沢下りホームから。
下北沢から遊園に帰るときは、いつも駅に面したビリヤード場の前で電車を待っていました。今もビリヤード場はあるようで、その写真が撮りたかったのですが、もう工事用の鉄骨に隠されて撮れませんでした。
ビリヤード場の建物も建替わっているようです。当時はビリヤード場の木枠の窓から、ガラーンとした薄暗い室内がよく見えたのですけど。

さようなら、下北沢。

登戸へ帰ってきました。

下北沢の喧騒と比べると

やはり静か、というか田舎ですねえ。

撮影日 2013年2月24日
- 2013/02/27(水) 01:51:55|
- 東京都世田谷区
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宿河原駅から歩いて僅かのところにある緑化センター。
子供の頃からあったはずだが、全然覚えていない・・。まあ、子供じゃあつまんないしね。

二ヶ領がこのように親水化される前は、川に落ちる人も多かったのですよ。雑草まみれの川岸に危ないと思いつつ近づくと、いきなりドボーン。
クラスのM君も授業を抜け出してなぜかここらで落ちて、ちょっと流された。ずぶ濡れで泣きながら帰ってきて、皆に笑われるという、まあなんでも適当な大昔の話。

日の傾きが低い時期で仕方ありませんが、日光がレンズ直撃の厳しい時期が続きます。もうハレまくり。

いつもは人がまばらな緑化センターだけど、おまつりの今日は別でした。

センターは盆栽コンテストとか菊の品評会とか実に渋い展示がタダで見られる。植物に興味が無い人でも見てると面白いですよ。冬は温室が暖かいし。

多摩川に出てちょっと走る。空が高い。

撮影日 2012年11月10日
テーマ:神奈川県川崎市 - ジャンル:地域情報
- 2012/11/27(火) 00:07:41|
- 川崎市多摩区宿河原
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遊園駅東口から見上げると、夏の名残り、大きな積乱雲がありました。まだ9月ですから。

北口に廻って区役所通りの裏から。ぽっかりと一軒、また敷地が開いています。

この辺の区画整理は一旦は区切りがついたようです。そのうちここもマンションが建つのでしょう。

いつもの商店街。

撮影日 2012年9月17日
テーマ:神奈川県川崎市 - ジャンル:地域情報
- 2012/10/28(日) 23:48:59|
- 川崎市多摩区登戸
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今日の新聞に小田急ロマンスカー10000形の引退記事が載って慌てた。今日は3月17日。
1月にロマンスカーと通勤電車5000形の引退の話を聞いて、何時か撮っておこう、
と思ったが天候が悪かったり、用事があったりと何時の間にかタイムリミットの16日が過ぎてしまっていた。
震災から一年の日、地震の時刻にはダイエー向ヶ丘店で館内放送にあわせて黙祷を捧げ、
電車を撮ろうとやってきたのは小田急陸橋の下。
ここは陸橋と線路に阻まれて、なんとも窮屈な空間だ。

陸橋が出来るまでは、ここに踏切があり府中街道はここを抜けていた。

かつての府中街道の面影がなんとなく分かるだろうか。明治から昭和まではこの左側には小さな商店街が形成されていた。この先には10年ほど前までは紀ノ国屋という料理屋があったが、今はマンションになっている。

二ヶ領に掛かる橋はなんの変哲も無いコンクリ橋だ。風格を感じさせるのは銘版のみ。

私が覚えている最も古い小田急の記憶は、正月の年始に横浜の親戚に行く時もの。
紺色の車体にオレンジのラインが入った電車だった。
まだ横浜線や御殿場線に蒸気機関車が走っていた私の幼少時代。山北からD52に乗ったことがある。
程無くして小田急はあのクリーム色の車体となる。5000形の顔の奴は私が一番乗った電車だ。

私が小学生の頃は、あのガイコツ顔の奴(9000形)が走り始めた。斬新なデザインではあったが、あまり好きではなかった。小田急といえば、やはりあの顔の電車なのだ。
走り去るロマンスカーEXE。後ろの稲田登戸病院の跡地の工事は終わりましたね。

何時まで待ってもこの日は10000形、5000形には逢えなかった。ちゃんとダイヤを調べてくるべきだった。

あまりに垂直な護岸にされてしまった二ヶ領新川が痛々しい。

撮影日 2012年3月11日
テーマ:神奈川県川崎市 - ジャンル:地域情報
- 2012/03/17(土) 22:18:25|
- 川崎市多摩区枡形
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